連合艦隊集結
10時には最初に駆けつけた連合艦隊第5・6戦隊がバルチック艦隊を確認した。ロシア側も、夜明けから日本の「和泉」やその後の第5・6戦隊を確認していたはずだが、11時すぎに初めてバルチック艦隊のロジェストヴェンスキー中将の命令で威嚇のための砲撃を行った。日本側も多少の砲撃を返すが戦闘状態を避けて、常に距離を保った。双方に1発の命中弾もなかった。
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日本の第3戦隊の海防艦3艦「厳島」「松島」「橋立」と装甲巡洋艦「鎮遠」がバルチック艦隊の前方を横切った。その後、第3戦隊の第4駆逐隊の駆逐艦4艦「朝霧」「村雨」「白雲」「朝潮」がバルチック艦隊の前方を距離を保ったまま横切った。海防艦や駆逐艦側では敵艦隊の正面から方向を測定することで敵針路を正確に掴む、単なる偵察行動だったが、ロシア艦隊は回避運動に入った。ロシア側が針路の前方海域に機雷が撒かれた場合の危険を避けたという説がある。この時の艦隊運動がバラバラで、もともと2列縦隊であった隊列はいつのまにか3列縦隊となり巡洋艦部隊は後方に遅れた。後日、日本の主力艦隊の多くの水兵はロシア艦隊を初めて見たときの印象を「敵はダンゴでやってきた」と語ってい。
皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ
11時42分、第7戦隊も沖ノ島沖でバルチック艦隊を確認し、その後、友軍と合流した。13時15分からは、第3戦隊旗艦「笠置」をはじめ、バルチック艦隊に同航して敵所在を通報していた日本艦が列をなして第1、第2戦隊に合流しはじめた。 13時39分、連合艦隊主力の第1、第2戦隊もバルチック艦隊を左舷南方に視認し、戦闘旗を掲揚して戦闘開始を命令した。13時55分、東郷は連合艦隊旗艦「三笠」へのZ旗の掲揚を指示した。この時連合艦隊が使用していた信号簿ではZ旗は「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」という文言が割り当てられていた[11]。
14時02分、針路を南西にとる連合艦隊と針路を北東にとるバルチック艦隊は反航路(平行すれ違い)上につく。14時03分、両艦隊の距離は11,000mまで接近する。距離8,500m、「どちら側でなさるのですか…。」砲術長が砲戦の射撃準備を右舷とするのか、左舷とするのかを東郷にたずねた。距離8,000m、東郷は右手を高く挙げ、左へ半円を描くように示し、先頭をいく旗艦「三笠」は大きく左舷取舵を開始した。敵前大回頭、いわゆる「丁字戦法」「トーゴー・ターン」の開始であった[6]。
敵前大回頭
T字による攻撃この時代の軍艦は砲の多くが舷側に並んでいるので横方向に砲撃できれば前後方向より多数の砲が使用できた。縦隊でまっすぐ進む敵艦隊に対して、その進路を横にふさぐ形、丁の字(あるいはT字)に似た体勢を形成できれば、敵の後続艦がまだ遠いうちに、敵先頭艦が前を向いている状態で味方の全艦艇の側方から先頭艦へ攻撃を浴びせることが出来るため、圧倒的に有利な形勢となる。この戦法自体は海戦の定石として古くから知られていたが、敵艦隊もそのような形を避けようとするため、実際に丁字を描くのは不可能に近いと言われていた[6]。
東郷と秋山真之参謀は試行錯誤の末、一つの結論に達していた。それが敵前逐次回頭という敵の盲点を衝く事によって、強引に丁の字を形成する方法だった。しかし当時の海戦の常識から見れば、敵前での回頭は艦を危険に晒す暴挙であった。「三笠」の回頭を目の当たりにしたバルチック艦隊の将兵は「東郷は狂ったのかと思った」「勝利を確信して喜びあった」という。
14時05分、先頭艦の「三笠」に続き戦艦「敷島」も取舵一杯、後続艦も順次回頭を開始する。14時07分、距離7,000mでバルチック艦隊が砲撃を開始し、先頭の「三笠」に攻撃を集中してきたため、三番砲塔を打ち抜かれるなど、回頭完了までに16発の命中弾を受けた。
14時10分、距離6,400m。日本の連合艦隊の先頭部は回頭を完了し、右舷側にバルチック艦隊の30隻以上が見渡せた。連合艦隊は回頭を完了した艦からバルチック艦隊の先頭の第1戦艦隊旗艦「スヴォーロフ」と第2戦艦隊旗艦「オスラビア」に対して榴弾による一斉砲撃を開始する。「スヴォーロフ」に向けられた「三笠」の試射1射目は目標を飛び越えて海面で炸裂した。2射目は手前の海面を波立たせた。3射目が「スヴォーロフ」の前部煙突を吹き飛ばし、続く砲弾は司令塔の覗き窓に飛び込んで半数即死、半数を負傷させた。日本側も被害が出始めた。第2戦隊の装甲巡洋艦「浅間」が舵機を損傷して戦列から離れた。
14時17分、連合艦隊の砲弾がバルチック艦隊先頭の2艦に多数命中し、「オスラビア」と「スヴォーロフ」で火災が発生する。14時35分、連合艦隊は東南東に転針、バルチック艦隊の進路を完全に遮蔽し丁字が完成した。バルチック艦隊の速度15ノットに対して日本の艦隊は18ノットであった。この間にも連合艦隊の砲弾は着実にバルチック艦隊各艦をとらえ、14時43分、「スヴォーロフ」と「オスラビア」は甲板上や艦内の各所で火災を起こしながら戦列から離脱した。「スヴォーロフ」は12ノットながらまだ航行してたが、再び司令塔内に砲弾が飛び込み、2発目の戦闘は不可能であった。「オスラビア」は更に悲惨な状況にあり、14時50分には大火災を起こしながら沈没した。日本の主力戦艦の30.5cm砲は、ロシア艦隊との距離が3,000mを切った段階で鐵鋼榴弾から徹甲弾に切り替えた[9][6]。
この決定的な30分間の砲戦で、海戦の大勢は決した。
スヴォーロフの北上以後の状況
追撃戦
14時50分、「スヴォーロフ」は突然北へ回頭した。日本の砲弾がロシア旗艦の後部へ命中し、舵が損傷したために自由な操船が妨げられた結果であったが、東郷、秋山ら「三笠」の首脳はこれを北へ逃げようとしている行動と判断し、後を追わせた。東郷にとっては、この海戦で下した唯一の誤った判断であった。
「スヴォーロフ」に続くロシアの2番艦、戦艦「アレクサンドル3世」の艦長ブフウオトフ大佐はただちに「スヴォーロフ」の舵の故障を見抜いて艦隊旗艦を追わず、結果として後続の全てのロシア艦は「アレクサンドル3世」に続いて進路を南東方向に保持したままであった。ロシア艦隊の頭を押さえにかかっていた日本の第1戦隊が「スヴォーロフ」を追って北へ転進したため、ロシア艦隊の前方に障害がなくなり、ウラジオストクへ逃げ込めると安堵しはじめた。
しかしその頃、第2戦隊旗艦「出雲」では、参謀の佐藤鉄太郎中佐が即座に「スヴォーロフ」の舵が故障をしたと判断し「スワロフに旗が揚がってません。あれは舵の故障です」と司令長官の上村彦之丞中将に進言した。「間違いないか」「間違いありません」佐藤の迷いのない答えに上村も決断を下し、東郷の「三笠」からの「左八点一斉回頭」(左へ90度回頭せよ)という旗による命令に反して第2戦隊はそのままロシア艦隊へ向けて突き進んだ。
上村の指揮の下で第2艦隊は東郷の第1戦隊とは別行動をとって東南東へ進むロシア艦隊を追って敵の東側目指して針路をとり、やがて、戦艦「アレクサンドル3世」の前へ回り込むことに成功した。上村の第2戦隊は、この時「浅間」が舵の故障で欠けていたため、ほとんど無傷の装甲巡洋艦5隻で構成され、20ノットの高速航行が可能であったが20.3cmの砲が最大であり、ロシア艦隊は傷を負いながらも30.5cmの主砲を備える6隻の戦艦が健在で他にも多数の艦があり、通常なら戦いを挑む状況ではなかった。3,000mに距離を詰めると双方の砲撃戦が始まり、たちまち第2戦艦隊の先頭にあった戦艦「シソイ・ウェリキー」が猛火に包まれ戦線から離脱した。「スヴォーロフ」に代わってロシア艦隊を率いていた戦艦「アレクサンドル3世」も浸水によって艦が傾き戦線から離脱した。
すでにロシア艦隊は統一のとれた艦隊運動が行なえる状態になく、「アレクサンドル3世」が戦線から脱落したことで艦隊の先頭になった戦艦「ボロジノ」艦長セレブレーンニコフ大佐は、日本の第2戦隊との戦闘を避けるべく、左回頭によって第2戦隊の後ろから北へ向かう針路を選んだ。上村の第2戦隊もロシア艦隊を追って北へ転じた。この決断によって、先の東郷の誤った判断が偶然にもこの後で良い結果をもたらすことになる[6]。3時7分、戦艦「オスラビラ」撃沈。ロシアの駆逐艦2艦が海面上の乗員を救助する間、日本艦隊からは1発の砲弾も撃たれなかった[9][6]。
挟撃
日本の第1戦隊と第2戦隊の挟撃
逃走するロシア残存艦隊舵を損傷した戦艦「スヴォーロフ」を追っていた日本の第1戦隊は、ロシア戦艦1艦のみが北上しているだけなのですぐに間違いに気付いたが、すでにロシア艦隊は南東に遠く去っており、その方向に探しながら戻って来ていたところ、15時58分、偶然「ボロジノ」など逃走中のバルチック艦隊と鉢合わせして、東から追いかける第2戦隊と思いがけず挟撃する形になった(「乙字戦法」)[9]。この時の艦隊運動を見ていたロシア海軍士官は、「日本艦隊の艦隊運動はまさに神のごとくであった。」と語っている。 日本の2つの艦隊はバルチック艦隊を取り囲んで砲撃を加えた。もし第2戦隊も「三笠」の首脳と同じ判断をしていたら黄海海戦のときのようにロシア艦隊を取り逃がしていた可能性もあった。
日本の第1戦隊は距離6,500mでロシア艦隊に向け30.5cm砲を斉射した。第2戦隊はロシア艦隊のあまりの煙に30分間ほど、敵艦隊を見失ったが追いついて、左から回り込みを図りながら攻撃を加え続けた[9]。ロシア艦隊は、隊列を乱しながらもなお反撃しつつウラジオストックへ逃げ込む隙を探していた。ロシア艦隊は北へ針路をとり、東郷も第1戦隊に対し横陣形で北へ向かった。ロシア艦隊は南へ針路をとり、東郷もこれに合わせた。こういった艦隊運動と砲撃戦によって、時間と共にロシア艦隊は傷つき、戦艦「ボロジノ」を含め少しずつ艦を海中に失っていった。両軍は一旦離れた後に18時に再接近するがもはや日没であった。東郷は戦艦と巡洋艦による砲撃戦の中止を決定し、19時10分、主力艦への攻撃中止命令と鬱陵島への集結が命令された。主力艦による砲戦に代わり、21隻の駆逐艦と40艇の水雷艇に対し夜襲による攻撃命令が出された